新年明けましておめでとうございます。
先日のはブログにまとめるほどのものではないので、これが1本目ってことで。
本年もひとつよしなに。
我々はおよそ1年にわたってステイホームを強いられているわけですが、そんななかで僕はドラクエ(特にV、テリワン)にハマっております。
ホイミスライムを仲間にするために3時間くらい洞窟に潜ってたんですけど、仲間にできないままズルズルと進んでいったらまさかまさかの1発でスライムベホマズンが仲間に!!!わーい( ᐛ👐)
かれこれ50時間くらいやってます!テリワンは99時間以上です(ง ´⊙ω⊙`)ง
そんなことはさておき、ここ半年くらいで坂道グループのアイドル活動が急に活発になりましたね。
ミーグリも開催され、そこから配信ライブも増えて、密着ドキュメンタリー的なものまで見ることができちゃって。(僕、ひとつも見てないし参加してないんですけどね)
なぜ僕は参加したいって思わないんでしょう。もちろん、乃木坂ちゃん、日向坂ちゃんはかわいいし、推しはいます。なんでだろう。なーんかやっぱり物足りないのかな。あのちょっと独特な空気感みたいなものを味わえないと思うんですよ。現地にゃあ勝てねえのよ。
まずそもそもライブというものが配信向けに作られたものではないから、そのままやるのは合わないだろうってのは想像ができますよね。『いや、その演出いるか?』みたいなものをバンバンしてくる場合だってあると思うんですけど、それよりも僕が思うこと。
足りないのは高揚感なのか、それとも "距離" なのか。
おそらく後者の方が強いかなと思います。どうしても配信になると苦しいところですよね。LIVE感が配信とかミーグリだと感じられないというか(参加してないからわからないけど)。
もちろん画面越しとはいっても、人がメンバー以外は入ってないので、メンバーの顔は綺麗に見えるし、みんなが平等に同じ席に座って見れるんですから、それはいいと思うのです。
が、大学生として1年間授業をオンラインのみで受講してきた僕にとっては圧倒的に足りないんですよ。
「提供されてるだけ」っていうのかな、インターネットを介すと置いてけぼり感が否めない。
これって自分が聞いている・見ているつもりでも、実際は相手からこちらへと半強制的に情報を与えられているだけなので、目の前の画面に映っているものに対して親近感みたいなものが湧かないんですよね。
だから内容に対して思っているほど突っ込んでいけないし、それに対しての感情も生まれない、もしくは薄いという結果になっちゃう。
だから、神宮やドームに現地参加した時は〈思い出〉として残しておけるけれど、今のような配信という形では "記憶" で止まってしまう。
〈思い出〉というのは全てを "記憶" しておけると思っているんです。
例えばですが、ある人と自分が喧嘩をしたとして『あの野郎、俺に借りた金返さないまま彼女まで取りやがって!!』というのが喧嘩の発端とします。そのとき自分は『悔しくて悔しくてたまらなかったし、寂しさと劣等感に襲われた』と思い、『三日三晩泣き続け、そのあとよくわからないけどめちゃくちゃピザ食った』、『部屋は汚いしなんか臭かった』とします。
これを1つのものとしてまとめて思い出す。
つまり、出来事だけではなくその理由、楽しさだったり辛さだったりというそのときの感情、そのときの眼前にある風景、匂い、言動など諸々を全て一緒に思い出すことができるのが〈思い出〉だと思うんです。1冊の本みたいな。
上の例は悲しい思い出にしましたが、楽しかった思い出もそりゃああることでしょう。
配信だとそれが出来ないと思うんですよね。思い出にはならず、記憶としてしか残らない。
「この曲歌ってたな〜」とはなるけれど、そのとき自分が心中で何を思ったか、何を語ったか、そのときの自分はどうしてたかなんて、全て思い出すのは無理なんですよ。だって "記憶" だもん。
僕は記憶を「薄っぺらい紙に鉛筆で書かれた記録みたいなもん」だと認識しています。1枚の紙に書いたものだから色々なものが重なればどこにあるかわからなくなるし、擦れて見えなくなることだってしょっちゅう。
そこでしょうね、僕が嫌がっている部分は。今でも初ライブの風景、そのときの匂いも鮮明に覚えてるんですが、それを変なかたちで上書きされそうだから。
本なら山積みでも整理できるし、背表紙があるから「あ!これだ!」ってわかるじゃないですか。そこの違いだろうと思います。
はやくヲタクで客席埋めて、みんなで声張り上げて、サイリウム振りながらウリャオイ言える世の中になればいいなあ。
あ、そういえばYouTubeで切り抜きとか見てると「お前らはいじるなよ」ってコメント結構見かけるんですよ。山下しかり、影ちゃんの東大いじりしかり。
なぜか悲しくなるんですよね。もちろん簡単にいじっちゃいけないのはわかるんですが、この1年でだいぶ物理的じゃなく心理的な距離も開いた気がして。元々アイドルなんてそんなものなのかもしれないけれど。
アイドルを推すこと=偶像崇拝(そもそもidleってそういう意味ですもんね)。人の形を成してはいるが、中身はどこにも見つからず、見せられているのは造りあげられたウソとホントの間ばかり。
本当の自分ってどこにいるかわからないからさらけだすのは難しいけれど、アイドルという制約が多い演者はもっと辛いのかもしれない。
僕の好きな生主?、配信者さんが『俺の人格は配信者の○○って人格にもう乗っ取られてきてんのよ』と語っていたのですが、それってアイドルにも起こりうることだと思うんです。だから、僕らが彼女らのそもそもの人格を相手にすることってないかもしれないし、探し出すのも難しい。
そんな中でもこうやって接してくれてる彼女たちには感謝しかないのですが、やっぱりどうも距離が離れてる気がして。
いじることがスキンシップというか、1つ距離を縮めるものになるとは思うんですけど、ファンは急に言い始めるし、それに本人たちまでもが「安易に触れるなよ」と発信しているからか、どうしても僕は「あ、変わったな」と感じてしまっています。
余裕がもてなくなったからなのかもしれませんね。
最近どうも僕は寂しさを感じてるみたい。
ぼくは夜中に1人で窓開けて、音楽聴きながら星を見ることが大好きなんですけど、毎回涙目になっているので、もし隣に素敵な人がいたらなあなんて思ったり思わなかったり。
いや、やっぱり彼女欲しいな(結論)
てなわけで、今回も書きたいことをつらつら〜と。
それでは、また。